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こころのしずく

こころのしずく

第七十七話~八十五話(完結)




本作品は、「るろうに剣心小説(連載2)設定」をご覧になってからお読みいただくことをおすすめいたします。面倒とは思いますが、オリジナル要素が強いので、キャラ人間関係・年齢等目を通していただきますと話が分かりやすくなります。

『剣と心』目次


『剣と心』


第七十七話「三年後の夏」(第三部)

「ねぇ剣路。父上を待ってるの?」
 剣路が見上げた先には、木の枝に座る心弥がくすりと笑う。幼稚な面影がだいぶ抜けて、手も足もすらりと伸び、顔つきも洗練されている。それでもまだまだ十の少年。幼さは残る。剣路はというと、やはり背がぐんと伸び、骨格も一段としっかりしてきた。声変わりもすっかり終わり、父剣心に比べずっと低い声だ。それでも顔は、日を追う事に剣心に似てくる。目つきの鋭さ以外は、見まごうことがあるほどだ。十六歳。若い力を存分に発揮出来る年頃だ。
「俺はただここで休んでいただけだ。お前が待ってるんだろ」
「おれも休んでただけだよ。もう父上を恋しがる年じゃないしね。どっかの誰かさんみたいに、泣いたりしないよ」
「俺がいつ泣いたってんだっ!」
「ほら。神社で極道連中と戦ったあと。弥彦兄が大好き~って言ってわんわん泣いてたよね。剣路が十の時」
 心弥はからかうように笑う。
「ったく。まさか心弥が比古の影響受けまくって、こんなひねくれた性格になっちまうとは思わなかったぜ」
 剣路は独りつぶやいた。
「あっ! 剣路!」
 剣路は、心弥が指さした先を見る。
「バカ師匠」
 二人は同時につぶやき、すぐにその場を後にする。それぞれ使いの用を言い渡されていたのだ。
「バカ師匠のくせに、怒るとマジでこわいからね」
「そうだな。ったく、あのやっかいな性格をどうにかしてほしいぜ」
 二人はぶつぶつつぶやきながら、使いに出かけた。

 剣路と心弥。二人が比古の元へ弟子入りしてから、三年目の夏が訪れた。その間、剣路が和の墓参りに一度だけ帰郷した以外に、二人が東京へ戻ることは一度もなかった。戦争が起こり、神谷道場生の多くの若者が戦場へと駆り立てられたが、幸いにも全員無事帰国した。弥彦は、一時的に神谷道場を継いでいたため、出征はまぬがれた。そして今日、その弥彦がここをたずねることになっている。奥義の撃ち合いを数日後に控えているというのに、いったい何の用なのだろうか。
「いよいよだな」
「うん」
 歩きがてら、二人は話した。それだけで、二人の会話は成り立つ。今、二人の頭の中を大きくしめていることは、奥義の撃ち合いだ。勝利した方に、飛天御剣流の継承が認められる。同時に、相手を殺すことなく天翔龍閃が撃てるか。それは、かつて比古に誓った不殺の飛天御剣流を振るうという約束を果たすことにもつながる。しかしそれ以前に、お互い相手を殺すようなことだけは絶対に嫌だった。
「おい、心弥」
 剣路が驚いて指さした先にいたのは、弥彦だった。こちらへむかって歩いてくる。
「弥彦兄!」
 剣路はうれしそうに、弥彦に近づいていく。弥彦もまた二人に気付き、歩を早める。
「剣路ってば、コドモだなぁ」
 心弥は立ったまま、つぶやく。
「剣路。またずいぶん大きくなったな」
「当たり前だ。俺はもう十六だぞ」
「そうだな……」
 弥彦は微笑して剣路の頭をぽんと叩くと、心弥の前へ歩み寄る。
「心弥。三年ぶりだな」
「お久しぶりです。父上」
 心弥は丁寧にお辞儀をすると、父の目をしっかり見つめ笑った。
「あ、ああ……」
「母上はお元気ですか? 神谷道場のみなさんは、お変わりありませんか?」
 心弥ははつらつと、父にたずねる。
「ああ、みんな元気だ。……お前、ずいぶん……」
「だまされるな弥彦兄。こいつは――」
「なんだよ剣路っ!」
 心弥は剣路をふくれっ面で睨む。そんな心弥を、弥彦は驚いた表情で見つめていた。
「では父上、お師匠様から言いつかった使いがありますので、また後ほど……」
 心弥は無理矢理剣路の腕をひっぱっていく。
「なにがお師匠様だ。バカ師匠じゃなかったのか?」
「うるさいよバカ剣路!」
 騒がしく去っていく二人に、弥彦は呆然としていた。

「なんだか心弥がずいぶん変わったようだが……」
 比古の家で茶をすすりながら、弥彦は仏頂面でたずねる。
「感謝しろよ。心弥に立派な敬語を身につけさせてやったんだからな」
「いや、なんつーか、アンタに似た部分が見え隠れするというか……」
 不機嫌そうな弥彦の前にどっしりと腰を下ろし、比古はニヤリと笑う。
「いいことじゃねぇか」
 ため息をつく弥彦を楽しげに見つめ、比古は酒を呑む。
「お前は呑まねーのか?」
「いや。今日はあいつらに大事な話があるから……」
 いまだしかめっ面の弥彦に、比古は心なしか優しい表情になる。
「安心しな。子供ってのはまわりに影響されるもんだ。だが、二人とも真の部分は変わっちゃいねぇ」
 比古は、もう一口酒を呑む。
「心弥はただ、お前の前でいいカッコしたかっただけだ。すぐにボロがでる」
 そのとき、戸の向こうから剣路と心弥の声が聞こえてきた。
「あのクソバカ師匠、なんで味噌と醤油と塩をいっぺんに買う必要があるの!? くそぉ重いな」
「るせーんだよてめぇは! 俺はお前の倍の荷物持ってんだ! まぁ比古のバカ師匠ぶりは認めるけどな」
「でしょっ! 帰ったらシメてやる」
 弥彦は固まっていた。
「あれは、素だと思うんだが……」
 ボソリとつぶやく弥彦に、比古は愉快そうに笑った。


第七十八話「前夜」

 その夜弥彦は、剣路と心弥を外へ呼び出した。弥彦は、並ぶ二人の前に立つ。
「お前たち、これがほしいという気持ちは変わってないか」
「ああ」
「はい」
 二人は即答する。弥彦は、腰に差した逆刃刀をそっとなでる。
「それに、父上の跡を継ぎたいという気持ちも、変わっていません。剣路も」
 心弥の言葉に、剣路もうなずく。
「そうか」
 弥彦は改めて、二人を見つめ、そして言う。
「いいか。俺は、奥義の撃ち合いを見て、勝敗は関係なく、ふさわしいと判断した者に逆刃刀を譲ろうと思っている。この逆刃刀を持つってことは、俺の信念、それはつまり剣心の信念、それを受け継ぐということだ。だが……」
 弥彦は、二人を鋭く見つめる。
「条件が二つある。一つは、奥義撃ち合い時、不殺の剣を振るうこと」
 剣路は拳をぎゅっとにぎり、心弥はごくりとつばを呑み込んだ。
「もう一つ。それは、俺と剣心の信念を受け継ぐと同時に、自分なりの信念を持って剣を振るえる者」
 剣路と心弥は、弥彦の目を真っ直ぐ見つめる。共に、強い光を宿して。
「話は以上だ。明後日の奥義撃ち合いに備えて、体を休めとかなくちゃいけねぇだろうから、二人とももう寝ろ」
「ああ……」
「待ってよ剣路! あ、お休みなさい、父上」
 心弥はぺこりとお辞儀すると、弥彦に背を向ける。
「おい心弥……」
 父の声に、心弥の背は微かに震える。
「久しぶりだし、一緒に寝――」
「だいじょうぶです! おれ、もう子供じゃないですから。では」
 心弥はそのまま、走り去っていく。
「立派になったな心弥。けど、なんかさみしーのは、俺が親バカなせいなのか?」
 弥彦は独り、つぶやいた。

 深夜、弥彦はかすかな物音に目を覚ました。暗がりの中目を凝らすと、まくらを抱きかかえてそっと部屋へ入ってきたのは、心弥だった。本人は気付かれないようにしている様子だったので、弥彦は目をつむる。
 心弥は父の隣りに、そっと横になった。そうして、そっと弥彦の袖をにぎる。
「会いたかったです。父上……」
 小さく、ささやく心弥。少しして、聞こえてきたのはすすり泣きだった。懸命に泣くのをこらえながら、心弥は続ける。
「三年間、父上のこと、一日だって忘れたことはなかったよ。本当は、初めから父上と一緒に寝たかった……」
 心弥の握る袖から、震えが伝わってくる。
「だけどおれ、きっと泣いちゃうと思ったから……。父上には、強くなったところを、見せたかったから……」
 涙声の心弥は、そうして父の胸に自分の額をくっつける。弥彦の懐に、心弥の涙が染みこんでいく。弥彦は寝たふりをしたまま、そっと心弥の震える肩を抱きしめた。


第七十九話「葵屋にて」

「はぁ? また使い? しかも酒!?」
 朝っぱらから、心弥は比古に怒鳴っていた。
「明日の奥義撃ち合いに備えて、修業を休みにしてやってるんだ。それくらい当然だろう」
 比古は意地悪そうに、心弥を見下ろし笑う。
「だからって、何でおれがアンタの呑む酒なんか!」
「ん? なんだ朝っぱらから……」
 起きてきた弥彦が、二人のいる土間へと現れた。
「お、おはようございます父上。……行って参りますお師匠様」
 心弥は弥彦ににっこり笑うと、くるりと背を向け、思い切り不機嫌そうに出かけていった。

 心弥が外へ出ると、先を歩く剣路の姿があった。心弥は駆け寄る。
「剣路も使い?」
「ああ。ったく、何でわざわざふもとまで水を汲みにいかなきゃならねーんだ」
 二人はまたもぶつぶつ言い合ったが、それも長くは続かず、沈黙する。やはり二人は、明日の奥義撃ち合いのことで頭がいっぱいなのだ。
「まだ、辛い?」
「そうだな。お前は?」
「うん……」
 短い会話を交わし、再び沈黙する二人。はたから見れば、二人が何を話しているのか全く分からないだろう。
「困ったことになったな……」
「うん……」
 二人はまた、ぼそりと言い合う。
「俺もお前も、こんなんじゃ奥義の撃ち合いなんてできっこない。そんなところへ、弥彦兄のアレだ……。それだけでも後にしてもらうように、弥彦兄に頼んでみるか」
「だめだよ。そーいうのは、父上が決めることだ。父上が、跡継ぎを決めるんだから」
「けどなぁ……」
 そこでまた会話は途切れる。
 やがて町へ入りかけた頃、剣路は口を開いた。
「あの手でいってみるか」

「操さんこんにちは! 今日も可愛いですねー」
 心弥の声が、葵屋のなかにはつらつと響く。
「えーそうかなぁ! まぁね、えへへー」
 玄関先で、操は上機嫌だ。
「今日はお一人でお留守番ですか?」
「うん! 蒼紫様たちは修業に出かけちゃってねー。私はホラ、子供たちが学校から帰ってくるのを待ってないといけないからねー」
 心弥は、外で隠れている剣路に目で合図を送る。剣路はうなずく。
「ところで操さん、おれ、なんだかのどが痛いんです。すみませんけれど、お薬頂けますか?」
「えー? だいじょうぶ? すぐ薬持ってくるよ」
「あの、どこにあるんですか? おれ自分で取ってきます」
「爺やの部屋の隠し箪笥だけど……いいよ、取ってきたげるよ」
 心弥はそこで、操の袖をつかんだ。再び剣路に合図すると、剣路はそっと葵屋の裏から中に入る。
「あの、よく考えたら、師匠が薬持ってました。だからいいです。ごめんなさい」
「えっ、でも早く飲んだほうが効くって」
「人様のものをもらうと、師匠に怒られますから」
「比古ってそんなヤツだったっけ」
「はい、そんなヤツですから」
 心弥はえへへと笑い、剣路が裏から出てきたのをちらりと確認する。
「じゃあ操さん、失礼します」
「うん。ホント、だいじょうぶ?」
「はい。では!」
 そうして心弥は操ににっこり笑い、去っていった。

「大成功だね剣路! でも、隠し箪笥のからくり、難しくなかった? それに、どれが毒薬か分かった?」
「俺は天才だからな。大抵のことは分かるさ」
 剣路は町で買ったこんぺいとうを一つ心弥に渡し、自分の口にも入れる。その金の出所は、比古から使いを言い渡されたとき残ったものをくすねたものである。
「じゃあ後は酒に薬を入れるだけだね」
 二人は、不敵な笑みを浮かべた。


第八十話「星空の下で」

その夜、夕食にて。
 酒を呑もうとする比古を、剣路と心弥はじっと見つめる。もちろん、昼間手に入れた毒薬を入れたものだ。
 比古は、さかづきを口元まで近づけたが、何か思いついた表情をした。
「おっと。客人に酒をつがねぇとな。呑めよ弥彦」
「ああ」
 比古は弥彦にさかづきを用意し、やたら楽しげに酒をつぐ。心弥は青くなる。
「あ、あの父上、おれ今日は父上と一緒に寝たいです! でも、その、お酒くさいと……ちょっと……」
「何言ってんだ。昔は俺が呑んだ後でも平気でそばに来たじゃねぇか」
「弥彦兄! 俺たちの大事な決戦を前に控えて、酒を呑もうってのか!?」
 剣路が弥彦をにらむ。
「オイ、俺は呑んでもいいのか?」
 比古は二人にガンつける。
「アンタはどーでもいんだよっ」
 剣路と心弥は同時に怒鳴った。
「ってか早く呑めバカ師匠」
 心弥はもはや父の前であることなど忘れている。
「呑めるか! 毒薬が入った酒なんざ!」
「ちっばれてたか……。しかしアンタならこの程度じゃ死なないだろう」
 剣路はまるでたいしたことではないことのように言う。
「だったら弥彦に呑ませてもいいだろう!」
「何だとこのバカ師匠! 父上に毒薬なんか飲ませられるわけないだろっ!」
「だったら俺はどうなんだ! 自分の師匠によくも毒薬なんざ!」
「うるさいな! いっぺん死にやがれこの大バカ師匠!」
「ま、死んでもバカは治らないだろうけどな」
 剣路の毒舌に、三人の喧嘩は激しさを増し、もはや収拾がつかない。
「こいつらの師弟関係、いったいどうなってんだ……」
 弥彦は一人、呆れ果てていた。

「失敗しちゃたね……」
「ああ」
 星空の下で、剣路と心弥は憂鬱そうだった。

「あいつら、なんであんなことを……」
 二人を遠くで見ながら、弥彦は隣りに立つ比古に語りかけた。
「どうにかして、明日の奥義撃ち合いを避けたいんだろーぜ。俺が毒薬でやられれば、先延ばしになると思ったんだろう。ったく、まだまだガキだぜ」
「避けたいって、なんで……。二人の実力はほぼ互角になったんだろ? 天翔龍閃に不殺を貫くことが出来るか……不安なのか?」
 比古は、星空を見上げた。
「和だよ……」
「和?」
 弥彦は、わずかに目を見開く。
「ああ。あいつらは、和への罪を背負ったままここへやってきた。そして三年間たった今でも、それを背負い続けちまってる。幸せになると、誓ったくせしやがって……」
「そうか。剣路はまだ……。待てよ、心弥はどうして自分を責めてるんだ?」
「和の日記を読んだだろう。心弥はそれを読んで、事の発端が六年前自分が嘘をついたことが全ての始まりだという気持ちが消えねぇでいるんだ」
「そうだったのか……。あいつら……」
 弥彦は、やるせなさで胸がいっぱいになる。
「あいつらは、分かってるんだ。それが、自分たちのためにならねぇことも。和のためにならねぇことも。みんな分かってて、それでもなお、罪から逃れきれずに苦しんでる……」
「……だから奥義の撃ち合いをこばむのか。その気持ちがある限り、奥義を会得して逆刃刀継いで自分が幸せになることに罪を感じて、だから本気の勝負が出来ねぇ……」
「ご名答」
 比古は、さかづきに口を付けた。
「おかげで、俺の酒も上手くねぇ」
 弥彦は比古を見上げる。月明かりを背に、比古を覆う影は濃い。
「だったら、もう少し先に延ばしてやってもいいんじゃねぇか?」
「いや、それは出来ねぇ。俺は気が短けぇんだ。剣心への奥義伝授の時も、あいつが奥義会得のために必要な答えを見つけられねぇまま伝授に望んだ」
「何だって?」
 弥彦は食い入るように比古を見る。
「だがアイツは、死の間際で答えを見いだした」
「だからあいつらも決戦で目覚めるってのか? あいつらはまだ子供だぞ……」
「フン……」
 比古は鼻で笑った。
「ガキはガキでも、普通のガキじゃねぇ。どんな壁があろうとも、必ず乗り越えられる。俺はあいつらを、そんな風に育てた」
「……」
「あいつらを信じてりゃあいいのさ」
 ふたたびさかづきに口を付ける比古に、弥彦は、憂う剣路と心弥をじっと見つめた。


第八十一話「対決」

 満天の星空の下、剣路は森の木元であおむけになり、心弥は同じ木によりかかり剣玉を突く。夏の夜、二人はよくこうして涼む。時には、そのまま眠ることもある。
 静かな夜に、カン、コン、カンと、剣玉を突く音だけが響く。
「いいのか? 弥彦兄と寝なくて」
「うん……」
「そうだな。明日が終われば、俺たちは東京に帰る。そうしたらお前はいつも、弥彦兄と一緒だもんな」
「ん……」
 心弥は、剣玉を突き続ける。一定の間隔で。
「明日はおれも剣路も、剣を抜くことすらできないかもね……」
「前向きにやってきたつもりだったのにな。まさか直前で足止めくっちまうとは思わなかったぜ……」
 そうして二人は、うつろな目で空を見上げる。
「もうおれたち、どうしようもないのかな……」
「そうみたいだ……。ここまでやってきたが、ダメだった。答えは分かっているのにな……」
「おれたちの道、行き止まりになっちゃったね」
「ああ」
「もう、どこへも行けないね」
「そうだな」
「明日、相打ちで死んじゃおうか」
「……それが間違いだと分かっていてもか?」
「うん。分かっていても」
「……そうするか」
 二人はふっと笑い合う。そうして剣路は目をつむり、心弥も横になり、二人は眠りについた。

 白昼の下、剣路と心弥は腰に差した木刀に手を沿え向き合い構える。
「いいか。何度も言ったが、木刀とて奥義を撃てば普通相手は死ぬからな。心してかかれよ」
 比古の助言に、二人はうなずく。
「いいな心弥。約束したとおりだ」
「うん。剣路」
 二人は見つめ合う。そして、比古を、弥彦を見つめ、また二人は視線を合わせる。弥彦は、そんな二人をただ信じて見守る。
「では行くぞ」
 比古の言葉に、二人は集中力をとぎすます。
「始め!」
 合図と同時に、二人は剣を抜き相手に飛び込んでいった。


第八十二話「夢の時代」

 真っ白な世界。上も下も、左も右も、前も後ろも。白い着物の心弥は立ちつくす。
「心弥」
 懐かしい声に、心弥は振り向く。
「和!」
 七つの和が立っている。鮮やかな緑の着物で。いつものように、にっこり笑う。心弥は、笑い返す。心弥の白い着物が、水色に染まっていく。辺りは、いつの間にか東京の河原になっていた。和が腰を下ろしたので、心弥も隣りに座る。同じ視線の和は、夕焼けの空を見上げる。
「なにしてるの? 和」
「兄ちゃんを待ってるの」
 そのとき、息を切らした剣路が走ってきた。
「和っ! こんな遅くまで何やってるんだ! 心配しただろ!?」
 十三歳の剣路は、和に怒鳴る。
「ごめんなさい……」
 和はなぜか、泣きそうに笑う。
「どこ行ってたんだ」
「平成時代」
 剣路と心弥は、顔を見合わせる。
「遠い未来の世界だよ。ぼく、生まれ変わって、その時代で生きているんだよ」
 二人はハッとする。そうして和がもう、三年も前に死んだことを思い出す。元の姿に二人は戻る。心弥は、小さいままの和を見つめる。時の流れを感じた。大きくなった自分。大きくなれない和。悲しくなる。
「そんな顔しないで心弥」
 和は心弥を見上げ、微笑する。
「心弥が大きくなってくれて、ぼくうれしいんだ。これからも、兄ちゃんと一緒に、この時代で剣を振るって生きていってね」
「できないよ和。だって和はやっぱりおれのせいで死んだんだ。だからおれも明日和のところに行くから……」
 心弥はぼろぼろ泣いて、しゃくり上げる。
「違うよ心弥」
 和は、心弥を抱きしめた。
「ぼくは、自分のために死んだんだよ。兄ちゃんが大好きだったから。だからぼく、後悔してないよ。だけど、心弥や兄ちゃんが苦しんでると、ぼく辛いよ……」
 和は心弥から離れると、剣路の前に立った。
「兄ちゃん、ありがとう。毎日、ぼくのこと思ってくれて。でもぼく、兄ちゃんが心から笑った顔が見たいよ」
「和……」
 剣路は膝をつき、和をぎゅっと抱きしめた。
「ごめん和……。俺……お前を……。ごめんな和……。俺はもうお前を離さないから……。ずっ…と……一緒だから……」
 剣路の頬から、涙が伝った。
「兄ちゃん……」
 剣路の胸で、和は今まで見たこともない笑顔を見せた。
「ありがとう……。もう泣かないで」
 そうして和は、そっと剣路から離れる。
「ねぇ和、未来の世界はどんなところなの?」
 心弥は興味津々で聞く。
「飛行機が飛んでる」
「ヒコウキ?」
「空高く、鉄の乗り物が飛ぶの。たくさんの人を乗せて」
 剣路と心弥は、未知なる世界に思いをはせる。
「行ってみたいなぁ」
 憧れの目で言う心弥に、和は悲しく首をふった。
「平成の世はもう、剣一本で生きていくことなんて、出来ない時代だよ」
 剣路と心弥は、衝撃を受ける。
「きっと本当の剣の時代は、兄ちゃんと心弥の代で終わりだよ。この時代は、まだまだ発達途上だけれど、きっと一番いい時代だよ。浪漫の時代だって、平成の人たちはみんな言ってる……」
 そうして和は、二人を澄んだ目で見つめ笑う。
「そんな夢の時代を、どうかなくさないで。竹刀剣術は、平成の世にも武芸として残ってる。ぼくが今通ってる剣道の道場にも、この時代の魂が、いまだ残っているよ。ぼく、そこでいっぱい大好きな剣術のお稽古が出来て、大好きな兄ちゃんと心弥と一緒にいるようで、とっても幸せだよ」
 和は、心弥の前に立つ。
「心弥。今までぼくと一緒に生きてくれて、ありがとう。でもぼく、もうだいじょうぶだよ。だから、もう行くね。これからは、自分のために、そして心弥を大切に思ってくれている人たちのために生きてね」
「和……」
 和は今度は、剣路の前に立つ。そして、ぎゅっと抱きつく。
「ぼくの……最後のお願い……」
 和の体は、透き通っていく。
「幸せになってね。兄ちゃん……」
 そうして和は、光の中にとけていった。


 それが、剣路と心弥が、昨日見た夢。
 まぶしい朝日の中。鳥がさえずるほかは静かな朝。
「和……」
「いっちゃったね……」
 二人は朝の空を仰いだ後、お互い見つめ合う。
「今日は全力で勝負だ」
「うん」
「約束だ」


第八十三話「決着」

 剣路と心弥は、渾身の力と魂を込め、同時に抜刀する。
――飛天御剣流 天翔龍閃――
 二つの奥義がぶつかり合う。


『強くなって、弥彦兄の跡を継ぎたいんだ』
『父上の跡を継ぐのは、おれだよ』
 桜吹雪が舞った、明治二十二年の春。あの日から二人は好敵手となった。


『ずるいよ……。おれ、剣路兄ちゃんと同い年で生まれたかった……』
 年の差を乗り越えて強くなろうと、必死で剣路の背中を追いかけた心弥。


『強くなったら、弥彦兄の跡を継いでもいいって……そう言われたのか?』
『……うん』
 心弥の小さな嘘は、運命の輪を狂わせるほんのささいなきっかけとなり。


『……父上の跡を継ぐのは……おれだよ』
『……その言葉はこれが最後だ』
 弥彦の跡継ぎをかけての、初めての戦い。


『弥彦君、心弥くんだってこんなに体を限界まで無理させて……。後一歩遅ければ、剣術が出来ない体になっていたのよ』
『……なん……だって……?』
 無言の弥彦から突きつけられた、激しい怒りの感情。悲鳴を上げつづけていた剣路の孤独な心は、このとき壊れた。


『剣路、だいじょうぶでござるか?』
 極道連中の手から父に助けられた。あの時、本当は嬉しかった。けれど時既に遅く……。


『いつかアンタをぶっ倒して、逆刃刀を奪い取ってやる……』
 こんな言葉でしか、助けを求めることが出来なくなった剣路。


『……そうだったな。いつかお前と勝負しないとな。そして、お前を殺してやらねーと』
『剣路兄ちゃん……。おれ、今度勝負するときは負けないよ。絶対に負けるもんか!!』
 この日から、二人の本当の戦いが始まった。


 変わってしまった剣路に涙の日々を送った、心弥四歳の夏。
 寒い小路で独り、冬桜を見上げた、剣路十歳の冬。
 悲しみを抱え、それでも二人は強くなろうと剣を振るう。

 そうして三年の時が過ぎ……。

 
『俺は、お前にだって命かけられる』
『きれいごと……言ってんじゃねぇよ! だったら、たった今ここで……俺におとなしく殺されろよ!』
 救いの手を差し伸べられたのに、振り払い拒んだ剣路。


『これ以上、どう努力すればいいの? それならおれ、もう和とは遊ばない。夏祭りにもいかない。桜とも会わない。ご飯も食べないし眠らない! ずっとずっと一日中稽古するっ!』
『なにガキみたいなこと言ってんだっ』
『おれ、おれ……、父上の跡を継ぐことが出来ないなら死んだ方がましだぁっ!』
 剣路との縮まらない差にあせり、思い詰めた心弥。


『兄ちゃ…は……生きて。そして……弥彦さんの跡を…継ぐ夢……かなえて…ね……』
 剣路を救い、倒れた和。

『ごめんね和……! ごめんなさい父上母上っ!!』
 逆刃刀を自分の胸に突き刺そうとした心弥。剣路を、和の元へ連れて行くために……。


 和が死んだのは、強烈な太陽が降り注いだ、あの夏の日。


『和はここで……お前の胸の中で……一緒に生きていける……』
 その日から、心弥は胸の中の和と共に生きてきた。


『和は、俺が殺した』
『おれはお前を一生許さない』
 罪を背負う剣路。剣路を好きなまま、憎まなければならなくなった心弥。


『今じゃなくちゃダメそうだったからなお前は。苦しくって辛くって、気ぃ狂いそうだったんだろ? どうやって生きていけばいいのか、分からなかったんだろ? けど人は、どんなに辛くても、夢があれば生きていける』
 弥彦に救われた剣路。


『おれがうそをついたから、剣路兄ちゃんの心はこわれて、だから和は死んだんだ』
『お前は俺の友達だ。唯一の』
 そうして、だから死ぬなと繰り返した剣路。


『何故俺が剣を振るうかと聞いたな。俺には俺の信念がある。それだけだ』
 強い魂がこめられた、蒼紫の言葉。剣路は剣の理を学び取る。


『お前が死んだら俺も和も痛いんだよっ!!』
『……ありがとう』
 幸せになるために剣を振るうと決めたあの日、二人の世界は色づき、光に満ちあふれた。



 二人の胸に、様々な想いが交錯する。
 剣路と心弥。二人が放った奥義・天翔龍閃は激しくぶつかり合い、そして――



 その夜、弥彦に順番に部屋へと呼ばれた二人。
 やがて部屋から出て外へ出た剣路は神妙な顔で。心弥は泣きはらした目で笑い。
 それぞれ、手にしたものを大切そうに抱えて。


第八十四話「祝福と感謝」

 翌朝。剣路と心弥は早々に旅支度をすませた。
「じゃあな比古。酒呑みすぎてぽっくりいっちまわないように、せいぜい気をつけるんだな」
「今日からは食事も掃除も使いも、全部師匠がやるんだからね。おれたちのありがたみを思い知れ」
「最後まで可愛くねぇな。さっさと行っちまえ」
 二人は比古にフンと背を向ける。
「オイ、別れのあいさつはすんだか?」
 弥彦は、思いきり呆れながら二人にたずねる。
「はい父上。丁寧にすませました」
「俺も十分にすませたぜ」
 笑顔の心弥に、すまし顔の剣路。
「ハァ……。じゃあ帰るぞ。では……」
 弥彦は比古に軽く頭を下げると、歩き出す。心弥は父について歩き出したが、二三歩先で足を止め、比古に振り向く。
「ぬかは時々かきまぜてよね。せっかく作った漬け物がダメになっちゃうから!」
「んなこたぁ分かってるよ」
 腕組みして答える比古に心弥は背を向けたが、数歩歩いてまた振り向く。
「それから! お塩と砂糖は違うんだからね! あとお風呂は薪で焚くんだからね!」
「当たり前だろうそんなこと!」
「それから……それから……」
 心弥は比古を無視して続けると――駆け戻り比古に抱きついた。
「何泣いてやがんだ……」
「だって……」
「最後まで泣き虫なやつだ……」
 比古はフンと笑い、心弥の肩に手を沿えた。
「こいつはさみしんだよ。だから時々は東京へ出て来いよな」
「お前らが会いに来やがれ」
 剣路と比古は軽くにらみ合い、そしてふっと笑いあった。


 今日は剣路と千鶴の結婚式。東京へ帰ってきてから、まだ一ヶ月足らずである。
 祝福する剣心と薫、弥彦と燕、由太郎や央太など神谷道場の者たち、そして心弥と桜。
 心弥は、桜の手をそっとにぎる。
「おれたちもいつかきっと……。ねっ」
 桜は優しい笑みを浮かべ、握られた手をぎゅっとした。
 剣路に寄り添い、幸せそうな千鶴。隣には、同じくらい幸せそうな剣路の姿。
「和、剣路兄ちゃん、幸せだよ」
 そっとつぶやき、そうして心弥は、剣路の腰に堂々と輝く逆刃刀をうらやましそうに、けれどそれ以上にうれしそうに見つめた。
「おれ、負けちゃったけど……だけどやっぱり父上は一生の憧れなんだ」
 心弥は、誰にともなくつぶやいた。変わらないその想いがただうれしくて、心弥は笑った。

「剣路兄ちゃん!」
 日雇い帰りの剣路を見かけた心弥は、走り寄る。
「あれ? 家に帰らないの?」
 新居とは逆の小路を歩く剣路を、心弥は不思議がる。
「ああ。今日比古が白外套送りつけてきたんだ。いらねーっていったのに」
「それで?」
「捨ててきた」
「ださいもんね、アレ」
 心弥はけらけら笑った。
「ああ思いっきりな。それに……飛天御剣流は俺の代で終わりだ」
 剣路は空を見上げる。それは、京都の方角だった。
「そうだね。師匠、今頃どうしてるかなぁ……」
 心弥も、同じ空を見上げた。
「師匠、ありがとうございました」
 心弥は、しみじみとつぶやいた。
「お前、それ比古に直接言わないと意味がないだろ」
「嫌だね。あんな自信満々バカ師匠の前でそんなこと言ったら、どれだけ調子に乗るか」
「違いないな……」
 剣路はふっと笑い、そうして京の方角にぺこりとお辞儀をした。


第八十五話「新しい剣の道」

 あの日、奥義を撃ち合い、衝撃で両者後方へふっとんだ。それから、長い時間をかけ、立ちあがったのは剣路だった。
 そして弥彦が逆刃刀を剣路に譲った理由。それをあの夜聞かされたのは、心弥のみである。

「なぁ心弥。まだダメか?」
「ん……」
「そうか。分かった。無理には聞かない」
「……いいよ。多分、もう泣かないで話せるから」
 心弥は唇をかむと、剣路に真っ直ぐな目をむける。
「奥義を撃ち合ったとき、二人とも倒れちゃって、死にそうになったでしょ。その時剣路兄ちゃんは、死ぬもんかって必死だったって。だけどおれは、もうダメだってあきらめてた。もう自分は死ぬんだって、そう思った。おれと剣路兄ちゃんでは、生きる意志の強さが明らかに違ってた。父上は、それを見抜いてた。自分の命を軽んじるやつに人を守る資格なんかないし、守ることも出来ないって、そう言われた」
「生きる、意志……」


『幸せになってね。兄ちゃん……』


 和が遺した最期の願い。それに一生かけて答えようと誓った剣路の腰に、今逆刃刀はある。

「だからあの夜、お前泣きはらした目してたのか」
「ううん」
 心弥は、嬉しそうな恥ずかしそうな表情になる。
「父上がね、いろいろうれしいこと言ってくれたの。おれが生きる意志をなくしてたから、心配だったって。おれが、生きててくれてよかったって。それからね、おれが父上の跡を継ぎたいって思ったこと、すごくうれしかったって……」
 そうして心弥は、涙を浮かべる。
「ああ。それで?」
 剣路は心弥の涙をぬぐいながら、続きを促す。
「おれのことが、大好きだって。だからもっと、自分の命を大事にしろって。そして、神谷活心流で、一緒に人を守る剣を振るっていこうって」
 心弥は涙をぬぐい、にっこり笑った。
「ハァ……。ったく弥彦兄は相変わらずだな。親バカっていうのかな、あーいうの」
「親バカって?」
「気にすんな。親父とお袋もそうだから」
 剣路は東京へ帰った晩を思い出した。剣心も薫も、剣路の飛天御剣流継承、そして逆刃刀継承に大喜びで、宴会をひらいたほどだ。
「ねぇ、剣路兄ちゃんは父上に何て言われたの?」
 心弥は、それを聞く心の準備がやっと出来たようだ。
「頼んだぞ……って」
「それで?」
「俺の夢だった飛天の剣で、逆刃刀を振るってくれって」
「……それだけ?」
 心弥が、剣路の顔をのぞき込む。剣路の頬はなぜか赤く染まり、それを隠すように怒ったような表情になる。
「ねえってば」
「俺のこと、たった一人の弟だって……。大切……だって……。そしてもう二度と……独りになったりするなって……」
 途切れ途切れに、けれど一言一言、大切そうに、剣路は語った。
「うん。剣路兄ちゃん……」
 心弥は、にっこり笑った。

「お前、そろそろ道場へ行かなくていいのか?」
「あっ、そうだった!」
「神谷道場の跡継ぎが遅刻なんかしてたら、弥彦兄にもらった竹刀が泣くぜ」
 心弥は困ったように笑い、背負った竹刀の柄にそっと手を当てた。それは、奥義撃ち合いの夜、剣路が逆刃刀を受け継いだ夜、心弥が受け継いだもの。真新しい竹刀と、神谷道場の将来の跡取り。

 

「おれもいつか、父上や剣心さんのような剣を振るいたいな」
「バカ。それじゃあダメなんだよ。親父も弥彦兄も、足りないからな」
「何が?」
「自分自身が、幸せであろうとする気持ち」
 剣路は、心弥に手を差し伸べた。
「俺たちは幸せになろうな、心弥。そうすればきっと、親父と弥彦兄を越えていける」
「うん!」
 心弥は、剣路の手をにぎった。
「剣と心は、一つだからな」
「誰かの幸せを守るためには、幸せの大切さを知らないとね」
 そうして二人は握手を交わし。笑い合い。

 剣路は逆刃刀を腰に差し。
 心弥は竹刀を背中に背負い。

 それぞれの道を歩き始めた。



 明治十一年。東京下町に現れた男は言った。
『剣一本でもこの瞳に止まる人々くらいなら、なんとか守れるでござるよ』
 頬に十字傷。腰に差すは逆刃刀。

『そして剣心の跡を継いで、この目に映る弱い人達や泣いている人達を守りたい』
 十字傷の男を心の師とし。その信念を受け継いだ少年は。
 明治十五年。男から逆刃刀を譲り受けた。

 時が経ち、二人の男の間に、それぞれ子供が生まれ。
 逆刃刀は十字傷の男の息子に譲られ、そして信念は二人の子供に受け継がれ。
 されど信念は新時代にふさわしい形となる。

『みんなと、そして自分自身が、幸せであるために』
 明治二十八年。新しい剣の道を、二人の少年は歩き始める。



 以後、逆刃刀が次なる誰かに継がれていったのかは、不明である。文明が急速に発達していく代わりに、時代は次第に悲惨になっていく。


 空は青く、川は澄み、星が輝いた明治時代。
 二人の少年は、懸命に生きた。
 痛み、苦しみ、哀しみ、怒り、そして喜び、幸せ……その心を、すべて剣一本にたくして。


 剣は心となり、時代時代に受け継がれてゆく。


























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